学生が卒業した。最後の最後までよく分からないクラスだった。私が前で真面目な話をしてるのに、はしゃいでお互いに写真を撮る子がいるかと思えば、神妙な顔して聞いてる子もいて。でも、私が二年前のことを思い出して言葉に詰まったら、みんな黙った。あ、こうやって聞く人たちなんだったな、と改めて思い出して、終わった。
二年前、同じクラスを持っていた時がんが見つかった。入院は卒業式が終わってからの予定だったのに病院の都合で繰り上がり、卒業式の二日前に入院した。点滴の針を左手首に刺したまま、手術の前の日に卒業式に出た。 最後まで学生を見届けることができなかったことが悔しかった。頑張って押し込めば研究生くらいにはなれた子が専門学校に進学して、私が休職してる間に学校に来たと聞いて、本当にかわいそうなことをしたと思った。 だから、今回はとにかく全員の進路を見届けようと思っていた。13人いて、1人は科目等履修生、1人は今日本で就活中。3人は帰国・就職で、 残りは大学院の正規生に決まった。日本で就活中の子は5月までにはどうするか決めるらしいので、それが最後。就活だと実質的には私ができることがないので見守るだけ。だから、彼らの意思決定を見届けるという意味では、やり遂げたのだと思う。 関係が悪くなった学生とも笑顔で話ができた。クラスを変わった学生に声をかけると、進路が決まった話をしてくれた。プレッシャーをかけるようなことを言って申し訳なかったと謝ると、自分も悪いところがあったから反省した、と言っていた。別の子は、私と関係が悪くなった時自分は壁にぶつかっていたのだ、と話してくれた。決まったところは第一希望ではなかったけれど、彼の研究をするにはいい環境。学費が高いのでアルバイトしなきゃ、と笑っていた。 第一希望の大学院にこだわって、二次募集とは別の研究科に三次募集で出願して、見事合格した人もいた。彼は、一見穏やかだけどかなり頑固で、大抵はボーッとしてるところが相方によく似ていて、私情が入って困った。 とにかく大変だった。タイでの生活や大学院の二年間よりも大変で、教師としての自信をなくし、やめられるものならやめたいと何度も思った。机で泣き、人がいないところで泣き、必死で走った半年が終わってみて、引き出しが一つ増えたことに気付いた。あの辛さは、もともと引き出しになるスペースしかなかったところを引き出しの形にこじ開け、扉をつけて引き出しにするための辛さだったのかもしれないと今思う。 一人一人にカードを渡した。その人のいいところが書いてあるカード。日本語学校を卒業して日本社会にもまれるうちに自信をなくすと思うので、その時に自分を見失わないように。日本に来た時の夢を見失わないように。日本に疲れた時はいつでも帰っておいで、という気持ちを込めて。 新しい引き出しを作ってくれたクラスに感謝。一生忘れないと思う。 卒業、おめでとう!
by fai_2010_220
| 2012-03-16 23:36
| 仕事のこと
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